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福島家庭裁判所郡山支部 昭和53年(少)193号 決定

少年 S・S(昭三五・四・三生)

主文

少年を保護処分に付さない。

理由

第一初めに

本件送致事実は、「少年は、他人名義の預金通帳を使用して払い戻し名下に金員を騙取しようと企て、昭和五一年六月二一日、福島県田村郡○○町大字○○字○○××番地所在の○○郵便局において、行使の目的をもつて、同局備付の郵便貯金払い戻し金受領証用紙の金額欄に五万一、〇〇〇円、住所氏名欄に郡山市○○町○○××-××、A子とそれぞれ冒書し、捺印欄に同女の印鑑を冒捺し、もつて、A子作成名義の郵便貯金払い戻し金受領証一通の偽造を完成したうえ、同所において、同郵便局々員B子に対し、『私はA子の長男でCである。』旨虚構の事実を申し向けて、右受領証が真正に作成されたもののごとく装つて、A子名義の郵便貯金通帳とともに提出行使し、同人をしてその旨誤信させ、即時同所において同人より、払い戻し名下に現金五万一、〇〇〇円の交付をうけてこれを騙取したものである。」というのである。

しかし、一件記録により認められる、少年は警察の捜査段階での前後六回にわたる取調べのなかで、昭和五一年一二月二八日の第一回目の取調べ時および同五二年一月一〇日の第三回目の取調べ時の二回だけは犯行を自白したものの、その後は、検察官による取調べを含め、ずつと一貫して犯行を否認し、今日に至つているという事情や、本件犯行と少年を直接結びつける客観的証拠は、科学警察研究所技官D作成にかかる筆跡の鑑定書(以下D鑑定という。)だけであるという事態にかんがみ、当裁判所は、本件犯行の目撃者である○○郵便局事務員B子、少年を取調べた警察官E、同上Fおよび前記Dを証人として取調べるとともに、前記D鑑定の信頼性を検討すべく、京都大学のGに筆跡の異同につきいわゆる近代統計学的手法による筆跡鑑定を命じる等の審理を行つてきた。

第二当裁判所の判断

まず、当裁判所の取調べた証拠を総合すると、何者かが送致事実記載の所為をなしたことは認められる。

しかし、少年と右犯行を直接結びつける証拠としては、前記のように自白を内容とする少年の司法警察員に対する昭和五一年一二月二八日付および同五二年一月一〇日付の各供述調書および前記D鑑定のみである(その他、少年のウインドブレーカー購入の金員についての疑問点をめぐる証拠等もあるが、これらはいずれも本件犯行と直接結びつくものでなく、その証拠価値はきわめて低い。)。

そこで、右の二つの証拠について順次、検討することとする。

一  D鑑定の信頼性について

D鑑定は、本件犯行と少年を直接結びつける唯一の客観的証拠といえるところ、まずそもそも筆跡なるものによる同一性の判定は、同一人の筆跡でもかなりバラツキのあることが普通で、たとえば指紋などと比較すると、その証拠価値は元来低いと考えられる。

そして、さらに、右D鑑定の結果を当裁判所で命じた鑑定人Gの筆跡鑑定(以下G鑑定という。)の結果と比較対照(当審判廷における証人Dおよび同Gの供述をも合わせて)すると以下のようなことが認められる。

(1)  筆跡の異同を判定するにあたつては、真犯人の書いたと思われるいわゆる被験文書-本件では、郵便貯金払い戻し金受領証(昭和五二年押第一三号符号一)-と犯人と疑われた者の書いた照合用文書-本件のD鑑定では、少年が警察で書かされたメモ五枚(昭和五二年押第一三号符号二、同符号三)および生徒実態調査票(同符号二六)。G鑑定では右各文書の他、アラビア数字の鑑定に際し、さらに少年の書いた数学ノートブック(同符号二七)をも使用した。-のそれぞれの文字から類似する特徴と相違する特徴を拾い上げて、それを比較するわけで、まず、それぞれどういう特徴を選びだすかがきわめて重要なところ、D鑑定の特徴抽出の仕方はいわゆる勘と経験に頼るもので、その基準が明確でなく、かつ、本件における筆跡の特徴として挙げているものをみると、類似する特徴をより多く選択し、相違する特徴についてはあまり着目していないようにみうけられ、また、そこで選んだ個々の特徴による比較が筆跡の同一性の判断にそれぞれどの程度の意味をもつかにつき、いわゆる個人内常同性と希少性の観点から十分な検討がなされていない(特に、希少性について、客観的資料の裏付を伴つた検討がほとんどなされていない。)。

それに対し、G鑑定-これは、筆跡鑑定も他の実験科学と同様、できるだけ個人の主観に左右されぬよう筆跡の特徴を計量化し、それを近代統計学の手法で処理したものである。-はD鑑定の抽出した特徴について、まず定性的なもの、定量的なものの双方ともこれを客観的に計測しうるように定義し直し、こうして定義された特徴について、犯行時点における少年と同学年の高校生集団(五八名)から筆跡を採取して得た資料からその特徴の希少性を計測し、またその特徴の常同性についても計量化し、それを基にしてD鑑定の抽出した特徴についてもう一度吟味しなおしている。その結果によればたとえば、「泉」の字の筆順のようにD鑑定が二つの文書群で共通としてあげる特徴の根拠自体に疑問があるのもあり、さらにそれを別にしても、D鑑定が同筆の根拠とする特徴の多くは希少性がそれほど高くなく、逆にそこであげられた特徴の中にはいくつかの異筆を示唆するものがあつて、それも同一性判定にあたり無視できない価値を有することが認められるのである。このようにD鑑定のかかげる諸特徴の比較-前記のようにそもそもこの特徴の抽出方法自体に問題があるが-からも、直ちに前記被験文書と照合用文書の書き手が同一であると断定することには疑問があることがわかる。

(2)  そして、さらにG鑑定は、前記のようなD鑑定の特徴抽出方法への疑問から、G鑑定独自の特徴抽出方法を試みている。その方法は個人の主観が入り込まぬよう、被験文書に出てくる文字について、複数の人間(本鑑定では、京大理学部の学生および院生で四名以上)がその文字を数回にわたり観察し、思いつく限りの特徴を拾いあげ(本鑑定の場合、全部で二〇〇個以上が抽出された。)、その個々の特徴につき、前記高校生集団から得られた資料に基づき、希少性を調べ、更にそれを対照用文書から得られた個人内常同性の観点からふるいにかけ、希少性、常同性の高い、即ち筆跡の同一性の判定につき価値の高い特徴を選び出したものである。そこで抽出された一般の文字(アラビア数字については除く。)の特徴により前記の両文書を比較検討してみると、その特徴の分布からして、両文書の書き手はむしろ異筆と推定されるものであることがわかる。

(3)  G鑑定の右の推定は、D鑑定の試みていない筆圧痕についての比較の結果からも強く裏付けされているし、また、これもD鑑定が試みていないアラビア数字の特徴の比較-当裁判所の審理の課程で少年から提出された事件当時少年の書いていた数学ノートブック(昭和五二年押第一三号符号二七)を利用してその常同性を調べている-からも、ある程度裏付けられている。

(4)  もちろん、G鑑定にも、そもそも本件被験文書の文字数が少ないことからくるところの限界があり、また、その方法自体、これまでの筆跡鑑定の分野においては全く新しい試みであつて、その筆跡の特徴の計量化の方法や、筆跡の同一性判定にあたつての特徴への価値の付与の仕方にも問題がないわけではないと考えられるし、一方、D鑑定の方法が主に勘や経験に頼るものといつても、それは過去の専門的経験等の積み重ねにより裏打ちされているものであつて、これを単に主観的なものに過ぎぬとまではいえないことも確かである。

しかし、前記のように、そもそも筆跡は指紋などと比較すれば、確かさの程度はかなり低いということや、右(1)ないし(3)であげた諸点を考えると、D鑑定の被験文書と照合用文書の書き手が同一であるとする結論には相当疑問があるといえる。

二  次に少年の自白について検討する。

(1)  まず、前記自白の任意性についてであるが、証人E、同上Fおよび少年の当審判廷における供述によれば、警察段階での取調べは、昭和五一年一二月二八日、同二九日、昭和五二年一月一〇日、同月二三日、同二四日、同二五日の六回であり、そのうち少年が犯行を自白し、調書をとることができたのは、第一回取調べの昭和五一年一二月二八日と、第三回取調べの昭和五二年一月一〇日であるところ、右の際の取調べには親は立ち合わせず、早朝から夜までかなり長時間にわたつて取調べがなされ、かつ、その間かなり鋭い追求がなされたことが認められる。しかし、前記各証拠を総合すれば、少年の身柄は非拘束のままであり、また、取調べの途中で一応休憩をとつたり、取調べにあたつている警察官の方から、あぐらをかいて座つてもよいと注意する等のそれなりの配慮もなされていることが認められ、右自白が直ちに不当な強制の下でなされたとは認められない。また、本件全証拠によるも、その他特段偽計とか過度の誘導等の任意性を疑がわしめるに足る事実も認められず、一応任意性はあると考えられる。

(2)  次に右自白の信ぴよう性について検討する。

少年の司法警察員に対する昭和五一年一二月二八日付、同五二年一月一〇日付各供述調書ならびに証人E、同上Fおよび少年の当審判廷における供述によれば、昭和五一年一二月二八日の第一回目の自白を得る際の警察官らの尋問の仕方は、まず尋問の前に「今からいうから書いてくれ。」とあらかじめ準備した文面を読み上げ、それを少年に筆記させて、筆跡を採取し(昭和五二年押第一三号符号二、三)、その後、特定の固有名詞を出さず、「少年の筆跡と思われる郵便貯金払い戻し金受領証で預金が引き出されているが、覚えはないか。」という聞き方をしているところ、少年は自分から六月ころ、○○郵便局よりA子名義の貯金通帳で金員(ただし、一〇万円といつている。)を引き出している旨供述しており、さらに、昭和五二年一月一〇日の自白では、引き出した年月日や時間、金額等を正確に述べ、また『本人でなければ、裏に職業と名前を書いてくれといわれ、払い戻し金受領証の裏に「無職、C」と書いた』というような本人でなければわからないような真実に符号する如き供述をしていること、また、取調べの警察官が特にふれていないのに、昭和五一年一二月二八日の供述の段階から郵便局で預金を引き出すのに使用した貯金通帳はHから手渡されたと、右郵便貯金通帳等の盗難事件に関係していると疑われ、自殺したHの名前を出していること、またHとの、郵便貯金通帳や引き出してきた金員の受け渡しの場面についての供述(特に昭和五二年一月一〇日付の調書)はきわめて具体的詳細で、かなり迫真性をおびていること(たとえば、Hと出会い郵便貯金通帳をみせられた場面で、「どうしてそんなことやつたんだといつて、Hの額を右手の先で強く押した」と供述しているとか、Hから郵便貯金通帳をとりあげ、返してくるぞといつたところ、逆にHにそんなことをすると少年がやつたことにすると脅かされ、貯金を降ろさざるをえなくなるに至る心理的過程とか、引き出してきた金員と貯金通帳をその犯行の二、三日後に、Hに渡す場面で、「Hはお金どうしたというので、私はそのとき学生服の右ポケットにお金と通帳とはんこを持つておりましたが、わざとおろしていないというと、Hは私の服のポケットを探ぐり、お金と通帳とはんこを見つけてしまつたのです。」と供述しているくだり等)等が認められ、右の点からすると一応右各自白の信ぴよう性はかなり高いようにみえる。 しかし、一方、以下のような点も認められる。

すなわち、

(I) 司法警察員作成の昭和五一年一二月二〇日付血族関係捜査復命書ならびに、証人Eおよび少年の当審判廷の供述によれば、前記Hの自殺は、中学生が校内での窃盗の嫌疑をかけられ、それを苦に自殺したとして、当時かなり地元で騒がれ、新聞等でも報道されたこと、また、少年は右Hの親類であることが認められ、したがつて、少年が右事件に当然関心をもち、いろいろ本件について(本件は右Hが盗んだと疑がわれた当該の貯金通帳を使用しての犯罪)情報を得る機会も多かつたと推測されるから、そういう事前に得ていた予備知識に基づき、少年が警察官の質問に答えたということも考えられないことはない。

また、少年が当初警察に呼び出されたとき、何もいわれないのに、前記Hのことで尋問されるのだと考えたこと(少年の当審判廷における供述)も右の事情を考えれば、十分うなずけるというべきである。

(II) 証人Eおよび少年の当審判廷における供述によれば、少年は昭和五一年一二月二八日の第一回の取調べに入る前に、筆跡の採取をされているが、そこで書かされたものは、長い文章形式のもの一枚(昭和五二年押第一三号符号二のうちの一枚)の他、犯人の書いた郵便貯金払い戻し金受領証と同じ用紙に同じ内容を書かせたもの一枚(同符号三、ただし、裏面の「長男、無職C」は除く。)、ざら紙に「郡山市○○町○○××-××、A子、無職C」と書かせたもの三枚(同符号二)であつて、何の説明もなかつたにせよ、少年はA子の名前を四回(しかも一回は本物の郵便貯金払い戻し金受領証用紙に記入している。)、Cの名前を三回も書き、しかも右A子は少年が中学生のとき在籍していた中学校の教師、Cは少年の中学、高校の一年先輩で、どちらも少年は名前だけは以前から知つていた(少年の当審判廷における供述)のだから、右筆跡採取の過程でその名前が頭に焼き付いているはずであつて、少年が真犯人でなくとも、警察官の追求にあつて、この二人の名前を出してくることは十分考えられ、右両名の名前を少年が自分から言い出したからといつて、本件の自白の信ぴよう性が高いとは必ずしもいえない。

一方、引き出した金額の五万一〇〇〇円については、前記のように、少年は昭和五一年一二月二八日の供述段階では一〇万円などといい、昭和五二年一月一〇日の供述段階ではじめて正確な金額(五万一〇〇〇円)を供述するに至つているのであるが、そもそも、少年を真犯人とみた場合、なぜ昭和五一年一二月二八日の供述段階で、一応は事件の全体につき、真実に符合する自白をしながら、金額の点のみこのような虚偽の自白をしたのか了解しにくいのに対し、少年は真犯人でなく、金額については、筆跡採取にあたつて、前記のように一回しか書かされていないことから、それは少年の記憶に残らず、一二月二八日の供述段階では一〇万円などと当てずつぽうで答えていた(少年の当審判廷における供述)が、翌一二月二九日に郵便貯金払い戻し金受領証の原本をみせられる(証人Eの当審判廷の供述により認められる。)等により暗示をうけ、昭和五二年一月一〇日になつて、はじめて正確に五万一〇〇〇円を引き出した旨供述したと考えた方が、右金額についての自白の変遷を了解しやすい。

また、犯行の日付の点も、昭和五一年一二月二八日の供述調書では六月ころなどとあいまいに供述していたのが、昭和五二年一月一〇日付の調書では正確に六月二一日と変つている。これも、右一二月二八日の段階では、警察官から、「六月ころ、学校を休んでいないか。」という形の質問のみをされ、少年には六月ころというヒントしか与えられなかつたが、その後少年は帰宅してから欠席届の控を調べて、翌一二月二九日以降は、六月二一日に欠席していることを知つたという経過(証人Eおよび少年の当審判廷における供述により認められる。)と対応しているともいえ、右のような犯行日時の供述をもつて直ちに本件自白の信ぴよう性を客観的に担保するものとみることもできない。

(III) さらに、少年の供述で詳細、具体的なところはいずれももつぱらHとのからまりの部分-この部分は相手方たるHが死亡していて、自由な創作も可能ともいえる。-であつて、犯行場面たる○○郵便局での貯金引き出しの部分はあまり、詳細かつ具体的ではない。

たとえば、B子の司法警察員に対する昭和五一年一一月二九日付の供述調書によれば、同女が犯人と応待し、犯人に対し、郵便貯金払い戻し金受領証の裏面に名前を書いてもらつた後、A子との関係を聞いて、長男との答をえているはずであるが、少年の一月一〇日付の供述調書では、そもそも郵便局の窓口の人が男か女かもはつきりせず、窓口の人との応答も、「本人でなければ裏に職業と名前を書いて下さいといわれたので、裏に無職、Cと書いたのです。そのとき外に何を尋ねられたのかは覚えていません。」となつていて、A子との関係について聞かれたことについては何ら供述していない。しかし、前記のような郵便局員との応答場面は犯人にとつては本来きわめて気を張りつめて行動していた場面のはずであつて、この部分の記憶をそう簡単になくすとは考えにくい。むしろ、これは少年の当審判廷での供述のとおり、○○郵便局には実際行つたことがないから-そしてこの場面は相手もあることで、うまく創作できなかつたから-と考える方が合理的ではなかろうか。また、少年が「本人でなければ裏に職業と名前を書いて下さいといわれ、無職、Cと書いた」との供述をしながら、A子との関係を聞かれ、長男と答えたはずの部分について何ら供述していないのは、前記筆跡採取の際、「無職、C」の文字は書いたが、この「長男」という文字については書かされていない(昭和五二年押第一三号符号二、三参照)こと、また、昭和五一年一二月二九日に警察官から郵便貯金払い戻し金受領証の原本(同符号一)をみせられたときも、それは表のみで裏はみせられていない(証人Eの当審判廷における供述)から、右「長男」の文字は前記二回の自白の前には少年の目にふれていない-したがつて、少年が自白の際、そのことに思いおよばなかつた-ということと符合するとも考えられよう。

(IV) さらに、前記のように、少年が本件取調べの過程で自白したのは、警察の取調べ段階での一回目の昭和五一年一二月二八日と、三回目の昭和五二年一月一〇日の二回のみであつて、それもいずれも朝から長時間取調べられた後、やつと夕方ころになつて自白しており、しかもその自白はすぐ翌日になると撤回されている(証人E、同上Fおよび少年の当審判廷における供述)。

そして、以後、検察官の取調べ(少年の検察官に対する供述調書)をも含め、現在まで頑強に犯行を否認している。これを少年の狡猾さの表われとみることもできようが、少年は若年の高校生で、これまで警察で取調べをうけたこともない(少年の司法警察員に対する昭和五二年一月一〇日付供述調書)ということや、一般に真犯人が反省悔悟して、一旦自白すれば、その後二転、三転して自白を覆すことはそう多くないと考えられることからみれば、むしろ、右のような少年の一連の行動からも、本件の自白が真実のものかどうかについて疑問が生じるといわざるをえない。

以上あげたような諸点を考えれば、本件の二回の自白は、いずれも、警察官の長時間の鋭い追求に未だ若年の少年が精神的に動揺し、一時的にでも心理的苦痛から逃れるために、取調べの警察官に迎合的にすでに新聞等で得ていた本件に関する予備知識や、筆跡採取の過程で得た知識を基に虚偽の自白をしたとみられる余地が十分あり、結局本件自白の信ぴよう性には疑問があるといわざるをえない。

三  以上を総合すれば、本件において、少年と本件犯行を結びつける証拠はいずれも疑問があり、少年を真犯人であるとの心証は形成しえぬというべきであるから、結局、本件送致事実は証明のないことに帰する。よつて、少年法二三条二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 大坪丘)

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